ペットを飼いたいと思ったきっかけ
いつからペットを飼いたいと思うようになったのか――。
思い返してみても、そのきっかけははっきりとは思い出せません。
子どもの頃は、金魚やカブトムシを飼ったことはありましたが、どちらも長続きはしませんでした。
実家では「ペット禁止」とされていて、親にお願いしても「ダメ」と言われるだけ。
今にして思えば、学校や習い事で家を空ける時間が多く、「その間、誰が世話をするのか?」という現実的な視点が自分には欠けていたのだと思います。
社会人になってからは、仕事中心の生活。ペットのことなど、いつしか頭の中から消えていました。
仕事を覚えることやお客様の対応に追われ、休日は疲れを癒やすだけ。
そんな生活が続いたある日、二度目の社内異動をきっかけに人間関係で悩み、ついに休職を選びました。
ペットとの出会い
休職生活に入って数ヶ月。
ふと立ち寄ったショッピングモールのペットショップで、ガラス越しに犬や猫を眺めていると、自然と心が癒やされていくのを感じました。
そこから少しずつ「自分もペットを飼いたい」と思うようになり、ペットショップをはしごしたり、犬を飼っている友人の家を訪ねたり、犬と触れ合える施設に足を運ぶようになりました。
ペットショップのケージ越しに、子犬の背中を1時間ほどなでていたこともあります。
今思えば、よく店員さんも黙って見守ってくれていたなぁと、感謝と申し訳なさの両方を感じます。
そのうち「やっぱり家に迎えたい」という思いが強くなり、ペット可の物件を探して引っ越しを決意しました。
迎える決断
そんな矢先、実家に帰る途中で立ち寄ったペットショップで、一匹の犬と出会いました。
店員さんに声をかけられ、抱かせてもらいました。
その店員さんの強い「押し」もありましたが、その愛くるしさに負けてしまい、すぐに飼うつもりはなかったのに、その場で迎えることを決断しました。
今振り返っても、休職中によくそんな行動力と決断力があったなと、自分でも驚きます。
犬との生活が始まって
「犬を迎えたら、きっと毎日が癒やされる日々になるはず」
そんな薔薇色の想像をしていました。
もちろん、実際に暮らしてみて癒やしの瞬間はたくさんあります。
- 尻尾を振って出迎えてくれるとき
- 何気ない仕草がたまらなく可愛いとき
- 散歩中に見知らぬ人と自然と会話が生まれるとき
犬がいるだけで、世界が少し優しく見えるような気がします。
一方で、現実的な大変さもあります。
毎日の散歩、予防接種、トイレ掃除、夜の吠え声、そして旅行などで家を空けられないこと…。
我が家の愛犬も7歳を迎えましたが、当面の悩みは「散歩の負担」と「夜の吠え声」です。
犬との距離感に悩むことも
現在私はリーンFIRE生活を選び、家にいる時間が増えました。
犬と過ごす時間が増えたのはうれしいことですが、「いつも一緒」が当たり前になりすぎて、少し困ったことも起きています。
私が外出すると、分離不安のように吠えてしまうのです。
「どうしたら安心してもらえるのか?」と、いまも模索中です。
子どもはいませんが、もし自分に子どもがいたら…と考えることがあります。
犬との生活を通して、「言葉が通じない存在だからこそ許されていること」もあると感じました。
もし相手が人間の子どもであれば、こちらの都合を押しつけることはきっとできない。
そう思うと、犬と暮らすことの責任の重さを改めて実感します。
犬との暮らしにかかるお金と責任
犬を飼うというのは、癒やしだけでなく、経済的な負担や責任も伴います。
我が家の場合、現在7歳の小型犬で、月あたり約1万円強(家賃のペット可加算分・餌・病院・シャンプー・ペットシーツなど)がかかっています。
近所の方で、最近老犬を亡くされた方がいて、その方から老犬期の介護や通院、そしてペットロスの体験談を伺う機会がありました。
心身ともに負担が大きく、浮ついた気持ちで犬との生活を考えてはいけないと、改めて気を引き締めるきっかけになりました。
これからの愛犬との時間
一般的に小型犬の寿命は15年前後といわれます。
我が家の愛犬は現在7歳。折り返し地点を過ぎたところです。
最近は少し距離感に悩む日もありますが、それでも、できる限り寄り添いながら過ごしたいと思います。
癒やされたり、腹が立ったり、笑ったり。
いろいろな感情を交わしながら、後悔のない「愛犬ライフ」を送りたいです。
まとめ
犬を飼うというのは、想像以上に「生活を変えること」だと思います。
癒やしもあれば、責任もある。
けれど、犬がくれる存在感やぬくもりは、何ものにも代えがたいものです。
これからも、愛犬と一緒に過ごす時間を大切にしながら、日々の生活を積み重ねていきたいと思います。
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