はじめに
あの頃の私は、朝が来るのが億劫でした。
当時の職場に向かう電車やバスの中で、吐き気に襲われながら「自分さえ我慢すれば何とかなる」「ここで頑張らないと置いていかれる」と、心の中で必死に自分を奮い立たせていました。
でも、その “我慢” や ”頑張り” が自分をじわじわと追い詰めていたことに、当時の私は気づいていませんでした。
心が疲れ果て、もう動けないと感じたとき、産業医に勧められたクリニックで「適応障害」と診断されて、初めて「あ、自分は本当に限界だったんだ」と自覚しました。
そこから始まった休職、復職、そして退職までの数年間。思うようにいかないことの連続でしたが、今ではあの時間があったからこそ、ようやく自分のペースを取り戻せたと考えています。
この記事では、そんな私があのときの自分に伝えたいこと──そして、今まさに似た状況で苦しんでいる方に届けたいことを、心を込めて書きました。
休職したことは「負け」じゃない
「ここで休んだら、もう戻れないかもしれない」
「自分だけが仕事から降りるなんて、甘えだと思われるかも」
そんな思いが頭の中をぐるぐると巡って、なかなか “休む” という決断を受け入れられませんでした。
でも今なら断言できます。
休職は “逃げ” ではなく、“自分を守るための選択” です。
真面目で責任感が強い人ほど、限界ギリギリまで踏ん張ってしまうと言われます。
もしくは、「真面目」「責任感」ではなく、『周りにどう思われるかが怖い』という思いで無理を続けてしまうこともあります。
けれど、身体と心が「これ以上は無理」と悲鳴を上げているときに、それを無視して働き続けることが、本当に正しいのでしょうか?
私はあのとき、自分の心身の状態が怖くなり、勇気を出して一度立ち止まったからこそ、回復のきっかけをつかめました。
「他の人は普通に働いているのに、自分は何しているんだ…」と落ち込む日も何度もありましたが、それでも一歩下がったからこそ見えた景色があります。
社会のペースから一時的に外れることを「負け」と感じる必要は、まったくありません。
「元の自分に戻る」必要はない
休職直後は、何にも考えない時間が過ぎていました。
そこから時間が経過し、数週間もすると何度も「早く元の自分に戻らなきゃ」と焦る気持ちが湧いてきました。
何とか復職をした際にも、
「前はもっと働けていたのに」
「こんなことで疲れるなんておかしい」
と、以前の自分と比べては落ち込んでいたのです。
そんな中、復職してからしばらく経った頃、ふと気づきました。
あの頃の “元の自分” は ”無理を重ねて成り立っていた自分” だったということに。
夜遅くまで残業し、休みの日も電話やメールを気にして、体調が悪くても笑顔で仕事をこなしていた。
「元の自分に戻る」ことが、もし “限界まで我慢して頑張り続ける自分” であるなら、戻らない方がいいのかもしれない、そう思えるようになったのです。
むしろ、これからは
「これ以上無理しない」
「自分の限界を尊重する」
と考える ”新しい自分” で生きていけばいい。
そう考えたとき、ようやく心に少しずつ余裕が戻ってきました。
元の自分を否定する必要はないのですが、「戻る」ことがゴールである必要もありません。
今のあなたにとって必要なのは、“回復した自分” ではなく、“自分を大切にできる新しい自分” なのだと思います。
復職してからも苦しかった
「一度立ち止まったら、あとは上がっていくだけ」と思うようにして望んだ復職後の日々は決して楽なものではありませんでした。
復職当初は、体力も集中力も思うように戻らず、仕事をして帰るだけで精一杯…
会社でマイペースに事務処理をするだけでも疲れ切ってしまい、「こんな状態で本当に続けられるのか」と不安でいっぱいでした。
ただ、それでも前に進むために、自分なりの工夫はしました。
まずは、新しい仕事の作業グループの人たちと自分からコミュニケーションを取ることに集中しました。
すべてを完璧にこなすのではなく、「挨拶」「報連相」「会話に少し参加する」といった小さな関わりを積み重ねることで、少しずつ職場に馴染んでいけたように思います。
とはいえ、どんな職場にも「気が合わない人」はいるものです。
私自身も、ある同僚とうまくいかず、何度か衝突したこともありました。
そのときは、上司や同僚に相談し、極力その人とは関わらない(最低限の関わりに留める)ような動き方を模索しました。
無理にぶつからない、頑張って「耐える」のではなく、「関わらない工夫をする」という選択が、自分を守ってくれました。
また、生活面では休職中に少しずつ始めた高配当株による配当所得という副収入が心の支えになっていました。
復職した会社に経済的に完全に依存していた状態だったのが、「最悪、働けなくなってもすぐに路頭に迷うわけではない」と思えるだけで、精神的に大きな余裕が生まれたのです。
そんなこんなで、決して順風満帆ではなかったけれど、休職に至った経緯を基に自分なりに工夫しながら、気づけば復職から5年が経っていました。
退職を選んだのは「逃げ」じゃない
「辞めたら負けだ」
「ここで耐えれば、また元に戻れるかもしれない」
──そんな思いを何度も抱きながら、私は最終的に退職という選択をしました。
もちろん、簡単に決めたわけではありません。
復職してからの数年間、何度も波がありました。
やりがいを感じる日もあれば、「もう無理かもしれない」と限界を感じる日もあった。
そんな日々を繰り返す中で、「この働き方を続けていたら、また心と体を壊してしまう」と感じた瞬間がありました。
それでも退職には、後ろめたさのようなものもありました。
「頑張って復職したのに」
「ここで辞めたら逃げになるのではないか」
と自問自答しました。
でも、今ははっきり言えます。
退職は逃げではなく、“自分を守るための前向きな選択” だったと。
一度壊れかけた心と体を守るために、環境を変えるのは自然なことです。
同じ場所で頑張り続けることだけが正解ではありません。
退職したからこそ、「ようやく肩の力を抜いて生きられるようになった」と今は感じています。
おわりに
休職、復職、そして退職──。
一つひとつの選択は、決して簡単なものではありませんでした。
でも今振り返ると、どの段階にも「学び」と「意味」があったと考えています。
休職したことは、心と身体が出してくれた “限界のサイン” でした。
復職したことは、自分の可能性を信じてみたいという “希望” の表れでした。
そして退職は、これからの人生を “自分らしく生きるための決断” でした。
今の私は、フリーランスとして個人でできる仕事を少しずつ受けつつ、ブログを書いたりして暮らしており、当時のように無理をしてまで働いてはいません。
でも、「働いていたあの頃よりも、自分の気持ちに正直に生きられている」と感じています。
もし今、あの頃の私のように悩み、葛藤し、立ち止まっている方がいたら──
- 無理しすぎなくていい
- 戻らなくてもいい
- あなたのペースでいい
と、伝えたいです。
この文章が、そんな方の心に少しでも寄り添うことができたら、これ以上うれしいことはありません。
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