【人生観・経験談】出世しなくても、自分らしい人生は歩める

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はじめに

学生時代から社会人にかけて、私はずっと「普通の人生」を歩むものだと思っていました。
いい学校に行き、いい会社に入り、結婚して、出世して、定年まで勤めあげる——。
そうした流れが “幸せの定番コース” のように思えていたのです。

けれど、振り返ってみると、私の人生はその「普通」から少しずつ外れていきました。
今回は、そんな私自身の “出世” にまつわる経験を振り返ってみたいと思います。



学生時代の進路選び

正直に言えば、学生のころは「自分が何をしたいのか」まったく分かっていませんでした。
周りに流されながら、与えられた課題をこなしていく日々。

そんな中で、卒業前に偶然受けたコンピュータの授業が転機になりました。
キーボードをカタカタと打つことが、驚くほど楽しかったのです。

「これを仕事にできたらいいな」——そんな単純な思いで、進む道を決め、ソフトウェア会社に就職することになりました。

出世への意欲と現実

入社当初は、もちろん出世にも意欲がありました。

必要な資格をコツコツと勉強し、何度も試験を受けて合格もしました。
努力を続ければ、自然と評価されるものだと信じていました。

しかし、33年勤めた結果を振り返ると、役職としては1段階しか上がらず、管理職にはなれませんでした。

「出世できなかった」という結果だけを見れば、寂しさもあります。
それでも、今思えば “上司へのアピール不足” もあったと思います。

一度だけ上司から「管理職になる気はあるか?」と聞かれたとき、
私は「上司が自分の仕事ぶりを見て判断してくれる」と考えていたため、
そっけない返事をしてしまいました。

あのとき、もう少し素直に「挑戦したい」と伝えられていれば、違う景色が見えていたのかもしれません。

出世しなかったからこそ見えたもの

とはいえ、出世しなかったからこそ、得られた安心もあります。

もし管理職になっていたら、休職や早期退職を決断する際に、迷惑をかける人の範囲がもっと広がっていたでしょう。
そう考えると、結果的に「ならなくて良かった」とも思う部分もあります。

「出世」は社会的な評価のひとつではありますが、それがすべてではありません。
人にはそれぞれ、自分なりの“バランスの取り方”があるのだと思います。

普通の人生から外れても

今現在の状況を振り返れば、私の人生は子供の頃に思い描いた “普通のレール” から外れていました。
けれど、だからこそ見えてきたこともあります。

「人生万事塞翁が馬」という言葉があります。
良いと思った出来事が悪い結果を生むこともあれば、
悪いと思った出来事が良い方向へ導いてくれることもある。

出世しなかった人生も、今の私にとってはちゃんと意味があるのだと感じています。



まとめ

理想の人生ではなかったかもしれません。
それでも、自分なりに選び、自分なりに生きてきた道には、後悔はありません。

※ 結果については、少し他人を羨ましいと感じることもありますが…(^^;

出世という結果だけでなく、
その過程で培った経験、人との関わり、考え方こそが、
これからの人生を豊かにしてくれるのだと思います。

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